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大阪地方裁判所 平成2年(人)9号 判決

主文

一  被拘束者甲野秋子、同甲野冬子を釈放し、請求者に引き渡す。

二  請求者の請求のうち、「被拘束者甲野夏子を釈放し、請求者に引き渡す」との請求を棄却する。

三  被拘束者甲野夏子を拘束者に引き渡す。

四  本件手続費用は、これを二分し、その一を請求者の負担とし、その余を拘束者の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求者

1  被拘束者らを釈放し、請求者に引き渡す。

2  本件手続費用は、拘束者の負担とする。

二  拘束者

1  請求者の請求を棄却する。

2  被拘束者らを拘束者に引き渡す。

3  本件手続費用は、請求者の負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求の理由

1  当事者

請求者(昭和二三年八月一〇日生)と拘束者(昭和二六年一〇月三〇日生)は、昭和五〇年五月一四日婚姻届出をした夫婦である。

被拘束者甲野夏子(昭和五〇年一一月一四日生。以下「被拘束者夏子」という。)、同甲野秋子(昭和五二年一二月一一日生。以下「被拘束者秋子」という。)、同甲野冬子(昭和五七年四月六日生。以下「被拘束者冬子」という。)は、右請求者と拘束者との間に生まれた子である。

2  拘束者のオウム真理教への入信

拘束者は、平成元年二月ころからオウム真理教に入信し、新大阪にあるオウム真理教大阪支部の道場に通うようになった。

拘束者は、平成二年四月一四日から同月二三日にかけて一週間オウム真理教が開催する石垣島セミナーに被拘束者らを連れて参加した。

3  拘束者の家出

拘束者は、被拘束者らとともに、平成二年四月二三日昼ころ石垣島セミナーから帰宅したが、請求者に対して、「出家する」「あなたとは接点がない、話ができない」と言い、互いに冷静な話し合いができないまま、拘束者は、同日夜半ころ被拘束者らを連れて家を出た。

請求者は、事態の進展に驚き、拘束者らの行方を探し、同人らが一時オウム真理教大阪支部にいることを突き止めたが、連絡は取れなかった。

その後、被拘束者らが、山梨県南巨摩郡富沢町にあるオウム真理教富士清流精舎(以下「富沢道場」という。)に居住していることが判明し、同年六月一七日同所と静岡県富士宮市所在のオウム真理教富士総本部道場(以下「富士総本部道場」という。)に出向いて被拘束者らとの面会を求めたが、オウム真理教側は請求者の求めに応じなかった。

請求者は、その後も何度となくオウム真理教側と連絡をとったが、拘束者らと面会できないまま現在に至っている。

4  被拘束者らの拘束

拘束者は、平成二年五月七日オウム真理教大阪支部の所在地である大阪市淀川区〈住所略〉に被拘束者ともども転出届を出し、被拘束者らを学校に就学させないまま、被拘束者らを富沢道場で生活させてこれを拘束している。

5  被拘束者らの保護の緊急性

(一) 被拘束者らは、小学校二年生、中学校一年生、同三年生という基礎的な学習又は進学への準備を必要とする時期にあるにもかかわらず、拘束者は、就学義務に反して被拘束者らを就学させていない。

(二) 拘束者は、オウム真理教の奉仕活動等のため、同教道場にいる被拘束者らとは同居せず、生活を異にしていた。被拘束者らは、拘束者の庇護、監督を受けておらず、拘束者は、親権者としての権利義務の行使を放棄している状況にある。

(三) 富沢道場での被拘束者らの生活

(1) 富沢道場の周囲は高さ三メートルくらいの鉄製の塀がめぐらされ、その中にプレハブ造りの仮設建物六棟が建てられている。その中のA棟とB棟が修行者のうち子供らとその母親が修行と寝泊まりをする建物となっている。

(2) 道場での子供たちの一日の生活

毎朝六時半に起き、七時まで建物の掃除をする。七時からは「護摩供養」と呼ばれる儀式が行われ、その際には祭壇等に祭られた果物などを食べる。八時からは「教学」と呼ばれるオウム真理教の教義を学習する。八時半からはオウム真理教が作った歌を皆で歌唱する。九時からは「立位礼拝」という修行を行う。一〇時から一一時までは「クンバカ」と呼ばれる呼吸法を練習する。そして、一一時ころから子供たちは年令に応じて算数、国語、理科、英語等の勉強をする。小学校二年生以下の子供は正午に食事をとり、三年生以上は午後二時に食事をとる。勉強は三時ころに終わり、その後午後七時ころまで再び修行が続く。修行の中身は「蓮華座」を組み、「マントラ」という呪文を何時間も唱えたり、「懺悔の詞章」と呼ばれる呪文を唱えたりというものである。夜の食事は午後七時ころにとり、再び修行を行う。九時からは「夜行」と呼ばれる修行を親子が一緒になって三〇分ほど行い、九時半からはオウム真理教が作ったビデオを見せられる。一〇時から再び「教学」の時間となり、小学生は夜の一一時まで、中学校は一二時まで行う。

許可がないと、建物から勝手に出ることが許されず、子供たちが建物を出るのは、道場の裏を流れる川に行く時くらいである。

このように、道場での生活は、オウム真理教の教義の学習や訓練が大半を占めており、行動の自由も著しく制限された事実上の軟禁状態にあり、通常の子供の生活とはおよそかけ離れたものとなっている。

(3) 衣食住などの生活条件が著しく劣悪である。

正規の食事は一日二回で、その内容は胚芽米、納豆、「オウム食」と呼ばれる根菜類の水煮、豆乳、海苔、ひじき、脱脂粉乳といった毎日同じメニューである。

飲み水は、川の水が飲料に適さないので、富士宮市の教団総本部から灯油を入れるポリ容器に水を入れて運び込んでいる。

風呂はなく、道場の裏の川から保健所の許可を得ずに取水した水を用いたシャワー室があるのみで、これも皆が交代で四、五日に一回程度使うだけである。

寝床は、横八〇センチメートル、縦七〇センチメートル、長さ一・八メートルくらいのボックスが横六つ縦三段になっている「蜂の巣」と呼ばれるものであり、子供たちは、この中にもぐり込んで、寝袋を使って寝ている。

オウム真理教では、病気になれば、それは身体の浄化であるとして放って置かれる。熱が出たり手足が化膿して膿汁が出たりする子供がいても、「甘露水」と呼ばれる水を飲ませるだけで、治療はなされない。手を骨折した子供がいても、応急手当がなされるだけで医者には診察させない。

(4) 道場では、就学期の子供に不可欠な内容の教育が保証されていない。

勉強は、子供たちが自分で持ってきた教科書や問題集を教材にして、信者が教えているが、授業の時間数が絶対的に少なく、教育の設備もない。また、教える側のレベルも低いと考えられ、義務教育として定められている内容が保証されているとはいいがたい。

(5) 道場では、子供たちは、オウム真理教の教義のみを聞いて成育し、周囲にも右教義を信仰する者しかいない。このような状況は、子供の成育にとって適切とはいいがたく、被拘束者らが将来通常の社会人として生活していくことが困難になるのではないかと危惧される。

以上のとおり、道場での集団生活は、被拘束者らの健全な発育を阻害するものであり、直ちに拘束者の拘束から保護する必要がある。

6  請求者の下で準備している監護態勢

(一) 請求者は、大阪府高槻市内の自宅に被拘束者らを引き取る予定であり、居住環境も申し分ない。

当初は、被拘束者らが長期間の拘束により、精神的、肉体的に疲労していることが予想されることから、状況いかんによっては、現在請求者が大阪市内で営業している漬物の卸し業を廃止し、請求者が直接被拘束者らの養育監護にあたる決意である。請求者には三〇〇〇万円程度の資産があり、負債も、六〇〇万円程度のものであるから、請求者が営業を廃止して被拘束者らの養育監護に専心しても、生活資金に不安はない。

(二) 請求者宅には、従前から拘束者の実母甲野花子(以下「花子」という。)が同居している。花子は、健康であり、日常の家事を行うのに支障はなく、被拘束者らもなついている。

(三) 拘束者の妹である丁海英子夫妻も、請求者宅から車で一〇分程度の距離に居住し、被拘束者らの養育監護に協力できる状況にある。

(四) 請求者は、被拘束者らの家出以来、オウム真理教大阪道場や富沢道場、富士総本部道場に出向いて被拘束者らを説得するため面会を試みており、被拘束者らに対する愛情は深い。

7  よって、人身保護法二条及び同規則四条により被拘束者らの救済を求める。

二  請求の理由に対する認否

1  請求の理由1及び同2の事実は認める。

2  請求の理由3の事実のうち、拘束者らの家出については、家出したこと自体は認めるが、その際の状況は否認する。その余の事実は否認する。

4  請求の理由4は争う。

なお、拘束者らの生活の場は、一時的に富沢道場にあったが、平成二年八月九日富士総本部道場に移転し、以来、母子ともに右施設内で生活している。

富沢道場の施設は一時的なものであり、今後、被拘束者らが居住する予定はない。

5  請求の理由5の各事実はいずれも否認する。

6  請求の理由6の事実は争う。

三  拘束者の主張

1  本案前の主張

本件請求は、具体的な権利義務ないし法律関係に関する紛争の形式をとっているが、その主要な争点は、拘束者が被拘束者らを連れて出家したことが果たして被拘束者らに対する違法な拘束にあたるかという点にあり、その判断は高度に宗教的な行為である「出家」についての審理、判断を経なければなしえないものであるから、本件訴訟は、その実質において法令の適用による終局的な解決が不可能なものというべきであり、裁判所法三条にいう法律上の争訟にあたらない。

2  被拘束者らは、自発的に自らの自由意思で拘束者と一緒に右施設で生活しているのであって、拘束にはあたらない。

3  仮に、被拘束者らに意思能力が認められず、拘束者による監護自体が人身保護法による拘束にあたるとしても、次の事情から拘束に違法性はない。

(一) オウム真理教においては、保母、小学校、中学校、高校の教師の経験、資格を持つ者が、平成二年八月一二日現在で計七四名おり、彼らと子供たちの親が中心になって、「オウム真理教新しい教育を考える会」を構成し、より優れた育児、教育法の研究が行われている。この研究の結果、乳幼児については母親の付きっきりの監護が不可欠であると考え、母親が常に監護し育てる規則を定める一方、小学生以上の子供については、既に多くの成功例が報告されている「一時期子供を手放して教育する手法」の効果を高く評価するに至り、保母、教師、医師が一体となってチームを作り、その監護の下、母親が子供を手放して集団生活させる機会を提供している。

現在、被拘束者らは、学校法人として認可されてしかるべき教育機関である「真理学園」において、学校教諭の資格をもった人達により、十分な検討を経たカリキュラムに基いて、オウム真理教の教義に立脚した真理を目指す教育を受けている。カリキュラム作成時には、当然国が定めた教育指導要領をも十分検討し、教育指導技術の開発を通じて質量ともこれを上回る教育を目指し実践している。

(二) オウム真理教は、東京都杉並区〈住所略〉所在のオウム真理教付属医院を経営しており、医師七名、看護婦五名を初めとする医療関係専門家一八名を擁している。また同医院に登録されていない医師二名、看護婦七名がおり、彼らが「新しい医療を考える会」という医療研究グループを構成し、出家者の健康管理を仕事の一つとしている。

富沢道場については、その施設を使用していた間、最低三名の医師が駐在しており、富士総本部道場にも平均して二、三名の医師が常駐している。何かあったときは、直ちに医師、看護婦が診察してくれるため、普通の家庭にはないおおきな安心感を与えている。

(三) 拘束者と被拘束者らが望むなら家族と連絡を取ることは容易であり、オウム真理教がこれを制限することはない。オウム真理教は、修行に専念するため会いたくないという本人からの依頼を受けて家族に面会を断っているにすぎない。

(四) 現在、富士総本部道場には、三〇名の子供が居住しているが、被拘束者らは道場の一階にある一二畳と一五畳の部屋に他の家族と一緒に生活している。部屋には、風呂場、トイレがあり、冷房機が備え付けられている。水については、井戸から引いたおいしい水が飲め、入浴も自由である。寝るときは、畳の上に寝具を敷く。食事は、健康に良いものを用意しており(毎日必ず同じメニューではなく若干の変化はある。)、子供は空腹であればいつでも食事をとることができる。

(五) 子供たちの実際の一日の過ごし方は、疎明資料(〈省略〉)のとおりである。

子供は、自由時間に道場の外に遊びに行っており、また、勉強の一環として野外活動の日が週一回あり、夏休みには自然環境が豊かな阿蘇道場などへ遊びに行く予定であり、軟禁状態に置かれているなどの事実はない。

(六) 拘束者は、子供の自立心を養うために子供を手放す期間以外は、被拘束者らと常に同居しており、被拘束者らのそばで常に面倒を見、監護養育を続けている。

子が年少であればあるほど、その養育に占める母の比重は大きい。被拘束者らにとって、母親である拘束者の膝下で監護されることが最も自然であり、幸福である。

(七) 被拘束者らは、いずれも拘束者の監護下にある現在の環境において生き生きしており、その生活に適応して心身とも発育が順調である。そして、請求者の下に戻されることを恐れ嫌がっている。現在の安定した生活から強引に被拘束者らを請求者の下に引き渡すようなことがあれば、被拘束者らの心身の平穏を著しく乱し、情緒の混乱は不可避的に被拘束者らの能力の破壊をもたらし、その健全な成長のために重大な支障が生じる。

四  拘束者の主張に対する認否

いずれも争う。

第三  疎明〈省略〉

理由

一  本件に至るまでの経緯

請求の理由1(当事者の身分関係)、同2(拘束者の入信及び信仰活動)の各事実は、当事者間に争いがない。

右争いのない事実に、本件疎明資料、請求者及び拘束者各本人の供述、被拘束者夏子及び同秋子の各供述、準備調査の結果、弁論の全趣旨を総合すれば、一応次の事実が認められる。

(一)  拘束者と被拘束者らは、請求者肩書住所地において請求者及びその母花子とともに暮らしていたこと、拘束者は、平成元年二月ころから新興宗教オウム真理教大阪支部に通うようになり、同年三月五日ころ同教に入信し、同教の信仰活動に熱心に励むようになったこと、被拘束者夏子も同年三月ころ拘束者とともに右大阪支部に行き、同年五月二一日ころ同教に入信して信仰活動に励むようになり、一人で大阪支部に通うこともあったこと、被拘束者秋子は、同年五月初めころ拘束者からオウム真理教のことを教えられ、同月二一日ころ入信し、拘束者や被拘束者夏子に連れられて右大阪支部に通うようになったが、当初は小学生でもありそれほど積極的ではなく遊ぶ方がよいと言って休むこともあったこと

(二)  平成二年四月一四日、拘束者は、オウム真理教が開催した石垣島セミナーに被拘束者ら三人を連れて参加したこと、このころ拘束者と被拘束者らは、オウム真理教の教義に基づく「出家」を考えるようになり、同セミナーでその決意を固めるに至ったこと、同月二三日セミナーから帰宅した拘束者らと請求者との間で、拘束者らの「出家」をめぐって口論となり、思い余った請求者が拘束者と被拘束者夏子の頬を打つ行為に及んだが、同日午後八時ころ拘束者と被拘束者らは家を出たこと

(三)  その後、拘束者は、被拘束者らとともにオウム真理教大阪支部に向かい、出家の手続を取ったうえ、同月二四日から同月二九日まで同教京都支部に滞在したこと、拘束者は、同月二九日修行や奉仕活動に専従する出家者として同教大阪支部に配属され、同年五月二一日まで大阪支部に滞在した後、同月二二日富沢道場に移り、同年六月二〇日再び大阪支部に戻り、同年八月四日富士総本部道場へ、翌五日には富沢道場へ、同月九日には富士総本部道場へと移動し、現在に至っていること

(四)  被拘束者らは、同年四月二九日京都支部で拘束者と別れて後、同教和歌山支部の「ばんじろう村」と称する施設で同年五月一七日まで修行等をして生活し、同月一八日山梨県内の富沢道場に行き、右施設内で同年八月九日までオウム真理教の信者とともに生活していたこと、そして、同日富士総本部道場に移り、拘束者のほか、田中一子、鈴木二子、佐藤三子及び同女らの子供らとともに生活するようになり、現在に至っていること、この間、右のとおり、被拘束者らは、同年四月二九日から八月五日まで拘束者とは生活場所を異にして生活していたこと、テレビ等に触れることもなく、社会との交渉を一切断ち切ってオウム真理教の教義の学習、修行に専念する集団生活を送っていたこと

(五)  請求者は、拘束者らの家出後、事態の進展に驚き、被拘束者らの行方を追って、オウム真理教大阪支部のほか、富沢道場、富士総本部道場にも足を運んだが、同児らとは面会できなかったこと、拘束者とは同年五月二九日ころ電話で離婚手続きについて話をしたほか交渉はなく、請求者らの婚姻関係は破綻状態にあること

以上の事実が疎明され、これを覆すに足る疎明資料はない。

二  被拘束者冬子及び同秋子の拘束及びその違法性

1  拘束の有無

(一)  前記争いのない事実によれば、被拘束者冬子は、八歳四月の児童であるから、自己の置かれた境遇を認識し、かつ、将来を予測して請求者と拘束者のいずれの監護を受け入れることが自らの幸福に適するかを判断する意思能力があるとは認められない。

右意思能力のない児童を監護するときには、当然に児童の身体の自由を制限する行為を伴うものであるから、愛情の有無、監護方法の当不当にかかわりなく、その監護行為自体が人身保護法及び同規則にいう「拘束」にあたると解すべきである。

(二)  被拘束者秋子は、一二歳八月の児童であり、その年令、資質からみて、一応意思能力があると認められる。

しかしながら、意思能力があっても、その児童が自由意思に基づいて監護者の下にとどまっているとはいえない特段の事情があるときは、監護者の監護行為は、なお右「拘束」にあたるものと解するのが相当である(人身保護規則五条、最高裁判所第二小法廷昭和六一年七月一八日判決、民集四〇巻五号九九一頁参照)。そして、一応意思能力の認められる状況に達した児童が、共同親権者である父母の一方の監護に服し、他方の監護を拒絶する旨の明確な意思を表明しているとしても、その児童に意思能力が十分備わっていない当時から、共同親権者の他方を完全に排除する現在の監護状況と同じか、これに準ずるような監護状況が継続していたため、自らの監護者を選択するについて必要な資料情報を持たないまま右のような意向を表明するに至ったものと認められる場合には、その児童は自らの監護者を選択するについて自由な意思の形成が妨げられていたというべきであり、このような状況下で、一方の監護に服する意向が表明されたとしても、これをもって、児童の自由な意思の表明とみるべきではないから、前記特段の事情があるものというべきである。

これを本件についてみるに、前記のとおり、被拘束者秋子は、現在その意思能力に欠けるところはないが、他方、必ずしも十分な意思能力が備わっていたとはいえない一一歳四月のころオウム真理教に入信して同教道場に通い、現在に至るまで同教の影響を強く受け続け、その結果、拘束者の監護下で同教の教義に基づく出家をすることが自らの幸福に適するか否かを判断するに必要な資料情報に接することのないまま、出家に反対する請求者の監護を拒絶する意向を表明したものと認められる。したがって、同児は、自らの監護者を選択するについて自由な意思の形成が妨げられていたというべきであって、前記特段の事情が認められるから、拘束者の監護行為は、「拘束」にあたるものと解するのが相当である。

2  次に、父母の共同親権に服する子の拘束が違法であるかどうかは、子を父母のいずれに監護させるのが子の幸福に適するかとの観点から判断すべきである。そこで、以下にこの点を検討する。

3  拘束者側の事情

(一)  現在の養育状況及び環境

前認定のとおり、被拘束者秋子、同冬子は、現在拘束者とともに、富士総本部道場内で生活している。疎明(〈省略〉)によれば、右施設内での被拘束者秋子、同冬子の現在の養育状況及び生活環境は、次のとおり認められる。

(1) 富士総本部道場敷地内には三階建て道場建物、四階建て「サティアンビル」と称する建物、四階建て倉庫等があり、拘束者と被拘束者らは、そのうちの建物一階にある一二畳と一五畳の部屋で他の三家族一一名(母三名、子八名)とともに同居し、生活している。

(2) 右居住している部屋には冷房機が取り付けられ、風呂、トイレは建物内に備わっている。

(3) 被拘束者らは、右施設内でオウム真理教の教義に立脚した教育機関である「真理学園」の定めたスケジュールにしたがって一日を過ごし、オウム真理教の教義に基づく修行と学年に応じた勉強を行っている。教室や特別の教育施設等はなく、前記拘束者、被拘束者らが生活している部屋を使用し、拘束者やオウム真理教の信者で教師の経験を持つ者らが教育にあたっている。

(4) 右施設には、オウム真理教の出家者の健康管理にあたっている医師が二、三名常駐しており、被拘束者らの健康管理も行っている。

(5) 食事は、若干のメニューの変化はあるが、いわゆる「オウム食」と呼ばれる菜食中心の健康食が主である。その他に「護摩供養」と称する儀式で祭壇の供物を食べる。

(二)  疎明(〈省略〉)によれば、被拘束者秋子、同冬子は、ともに拘束者の監護を望み、請求者の監護を拒否する旨の意向を表明をしていることが認められる。また、被拘束者夏子も、請求者の監護を拒否する意向を表明しており、拘束者と被拘束者らとは、同じオウム真理教を信仰する者として、強い連帯感で結ばれていることが窺われる。

(三)  しかしながら、疎明(〈省略〉)によれば、拘束者側には次のような事情が認められる。

(1) 生活環境の安定性と継続性の欠如

被拘束者らは、家を出て以来、オウム真理教大阪支部、同京都支部、同和歌山支部、富沢道場、さらには富士総本部道場へと、その居住場所を転々と変えている。今後の被拘束者らの居住場所も、教団の意向により、さらに変遷を重ねるであろうことは十分に予想されるところであり、生活の本拠は全く安定しない。

(2) 生活環境の不良

被拘束者らが、平成二年五月一八日から同年八月九日まで生活した富沢道場は、人里離れた山峡に建設されたプレハブ架設建物六棟により成り立ち、現在の居住場所である富士総本部道場に比し、はるかに劣悪な生活環境にあった。そして、富士総本部道場も、居住空間が狭い等決して良好な生活環境とはいえない。

(3) 家族単位でない生活環境

現在、被拘束者らは、一二畳と一五畳の部屋に四家族が同居する集団生活を送っており、同じ宗旨の者が自らの意思で集まって生活しているとはいえ、人間が社会で生存し、特に子供が健全な成育を遂げるうえで必要不可欠な最低限の生活単位である家族単位による生活がなされておらず、したがって通常の家庭教育を行いうる環境にない。

(4) 経済基盤の欠如

現在拘束者は三八歳で、定職を持たず、オウム真理教の出家者として同教の道場での修行、教団への奉仕活動を生活の基本としており、被拘束者らに対する安定した監護をするのに必要な経済的基盤を有していない。

(5) 監護態勢の不安定

拘束者は、現在は被拘束者秋子、同冬子らとともに生活し、直接同児らの監護にあたっているが、平成二年八月五日以前は、同児らと離れて生活し、その監護養育は、専ら教団に任せ、自身は教団の奉仕活動等に専念していた。この間、同児らは、姉の被拘束者夏子と一緒であったとはいえ、このような拘束者の監護態度に照らすと、今後も、拘束者による安定した監護が行われる保証はない。

(6) 学校教育に対する配慮

拘束者は就学年令にある被拘束者らを学校に通わせていない。

拘束者自身は、教団の教育機関である「真理学園」で学習させているから、被拘束者らの教育に十分配慮していると考えている。しかし、右学園は、現時点では、人的設備はともかくとして、固有の教育施設、教材その他の物的設備を持たない。右学園が始動し出して間もないこともあり、被拘束者らに十分な教育を施してきたとはいえないし、その教育内容がどの程度の水準のものかは、疎明(〈省略〉)によっても明らかでない。

(7) 修行、宗教教育による被拘束者らへの影響

拘束者は、社会との交渉を一切絶って、被拘束者秋子、同冬子にオウム真理教の教義に基づく修行をさせ、教育を受けさせているが、右修行、教育が子供の健全な成育に適したものかどうかは拘束者提出の全疎明によっても明らかでなく、かえって、疎明(〈省略〉)によれば、社会への順応能力に支障をきたすおそれがないとはいえない。

4  請求者側の事情

疎明(〈省略〉)によれば、請求者側の被拘束者らに対する養育環境等に関する事情は、次のとおり認められる。

(一)  請求者は、四二歳であり、現在大阪市浪速区所在の木津卸し市場内で漬物と味噌の卸売り商を営み、拘束者の実母(請求者の養母でもある。)花子がこれを手伝っている。

(二)  請求者が予定している監護態勢

請求者は、肩書住所地で花子とともに、被拘束者らと生活し、父子関係の回復に努める。

被拘束者らの状況いかんによっては、同児らが通常の生活ができるようになるまで、前記営業を廃止し、請求者自身が直接養育監護にあたる。

請求者の自宅は敷地ともその所有であり、他に請求者の資産として、預金、株式等約三〇〇〇万円があり、負債は、営業上の借入金約六〇〇万円があるにすぎないから、当面の生活資金に不安はない。

花子は六六歳の高令であるが、当面健康上の不安はない。

拘束者の妹である丁海英子夫婦も、請求者と同じ高槻市内に居住しており、請求者に協力する意向を表明している。

(三)  被拘束者秋子、同冬子は、従前それぞれ学校に通い、その環境に順応していたことが推認され、同被拘束者らを学校に復帰させても十分適応可能であると認められる。

(四)  請求者と被拘束者秋子、同冬子との父子関係が従前ことさら険悪であったとは認められない。拘束者らの家出に際し、酒を飲んでいた請求者が、被拘束者夏子の頬を打つなどしたが、請求者がそのような行為に出たこと自体初めてのことであり、拘束者らの出家という非常事態に直面しての行為であることが十分に窺えるところである。

請求者は、本件事態に立ち至り、父親として責任をもって被拘束者らの養育監護にあたる旨の決意を表明している。

5  以上認定の事実関係の下で、被拘束者秋子、同冬子を請求者と拘束者のいずれに監護させるのが同児らの幸福に適するかにつき検討する。

前認定のとおり、被拘束者秋子、同冬子を拘束者の監護下に置くときは、拘束者の生活の本拠が安定せず、生活環境の安定性、継続性に問題があること、生活が家族単位ではなく、劣悪な生活環境にあるオウム真理教の施設内で一般社会から隔離された集団生活を送ることになること、出家者である拘束者に経済的基盤はなく、オウム真理教にすべてを依存していること、被拘束者秋子、冬子は学校に通学しておらず、この状態が今後も続くものとみられること、被拘束者らの学習の場である「真理学園」はその実体が明らかでなく、十分な教育が施されているとはいえないこと、このまま被拘束者らを教団の施設内で生活させると、将来成人しても、社会への適応能力を欠く事態になりかねないこと等の事情が認められ、他方、拘束者側の右事情に比べれば、請求者側が用意している監護態勢は、十分に整っていること、被拘束者秋子、同冬子は請求者の下に戻ることを拒否する旨の意向を表明しているが、前記のとおり、被拘束者冬子に意思能力はなく、同秋子も、父母いずれの監護養育に服するかを自由な意思の下に判断することができない状況にあり、同児らは現在もオウム真理教の道場で生活し、日々同教の教義に基づく修行をして、その影響を強く受けていることが推認されることから、右被拘束者らの態度はこれを重視すべきではないこと、右被拘束者らのオウム真理教の道場での生活も四か月に過ぎず、いまだ定着したものとはいえないから、同児らと請求者間の父子関係の回復は、十分に可能であること、何よりも学令期にある右被拘束者らを速やかに学校に復帰させる必要があることなどの諸事情からすれば、被拘束者秋子、同冬子を請求者に監護させる方が、同児らの幸福に適すると認めるのが相当である。

三  被拘束者夏子に対する拘束の有無

次に、拘束者の被拘束者夏子に対する監護が、人身保護法にいう「拘束」にあたるか否かについて検討するに、前記認定の諸事情のほか、準備調査期日における被拘束者夏子の供述態度、弁論の全趣旨を総合すると、一四歳九月の同被拘束者は、既に自己の置かれた状況について弁別するに足る意思能力を有し、かつ、請求者側及び拘束者側の前認定のごとき諸事情を認識したうえ、自らの自由意思により、拘束者を監護者として選択し、その監護の下にオウム真理教の道場で生活しているものと認定するのが相当であるから、拘束者の監護は「拘束」にはあたらないといわざるをえない。

なお、同被拘束者は、一三歳五月ころオウム真理教に入信して以来現在まで、同教の影響を強く受け続けてきたことが認められるが、その年令、資質、能力等に照らし、すでに十分な意思能力があると認められる状況下で自らの自由意思により、右入信を決定し、現在の監護状態に至ったものというべきであるから、前記被拘束者秋子の場合と同様には論じられない。

四  本案前の主張についての判断

拘束者は、本案前の主張として、本件が高度な宗教的問題を主要な争点としているので裁判所法三条にいう法律上の争訟にあたらない旨主張するが、本件請求は、宗教上の当否を問題にすることなく、前示各認定によってその当否を判断することが可能であるから、拘束者の右主張は理由がない。

五  そうすると、請求者の本訴請求のうち、被拘束者冬子、同秋子に関する請求は理由があるからこれを認容し、人身保護法一六条三項により右被拘束者らを釈放して請求者に引き渡すことにするとともに、被拘束者夏子に関する請求は理由がないからこれを棄却し、右被拘束者を拘束者に引き渡すこととし、手続費用につき同法一七条、同規則四六条、民訴法八九条、九二条本文を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 下方元子 裁判官 黒岩巳敏 裁判官 野路正典)

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